牛をつないだ椿の木

作者:新美南吉 約15分で読めます

牛をつないだ椿の木を縦書きで読む(Textfall)

一

山の中の道のかたわらに、椿の若木がありました。牛曳きの利助さんは、それに牛をつなぎました。  人力曳きの海蔵さんも、椿の根本へ人力車をおきました。人力車は牛ではないから、つないでおかなくってもよかったのです。  そこで、利助さんと海蔵さんは、水をのみに山の中にはいってゆきました。道から一町ばかり山にわけいったところに、清くてつめたい清水がいつも湧いていたのであります。  二人はかわりばんこに、泉のふちの、しだやぜんまいの上に両手をつき、腹ばいになり、つめたい水の匂いをかぎながら、鹿のように水をのみました。はらの中が、ごぼごぼいうほどのみました。  山の中では、もう春蝉が鳴いていました。 「ああ、あれがもう鳴き出したな。あれをきくと暑くなるて。」 と、海蔵さんが、まんじゅう笠をかむりながらいいました。 「これからまたこの清水を、ゆききのたンびに飲ませてもらうことだて。」 と、利助さんは、水をのんで汗が出たので、手拭いでふきふきいいました。 「もうちと、道に近いとええがのオ。」 と海蔵さんがいいました。 「まったくだて。」 と、利助さんが答えました。ここの水をのんだあとでは、誰でもそんなことを挨拶のようにいいあうのがつねでした。  二人が椿のところへもどって来ると、そこに自転車をとめて、一人の男の人が立っていました。その頃は自転車が日本にはいって来たばかりのじぶんで、自転車を持っている人は、田舎では旦那衆にきまっていました。 「誰だろう。」 と、利助さんが、おどおどしていいました。 「区長さんかも知れん。」 と、海蔵さんがいいました。そばに来てみると、それはこの附近の土地を持っている、町の年とった地主であることがわかりました。そして、も一つわかったことは、地主がかんかんに怒っていることでした。 「やいやい、この牛は誰の牛だ。」 と、地主は二人をみると、どなりつけました。その牛は利助さんの牛でありました。 「わしの牛だがのイ。」 「てめえの牛? これを見よ。椿の葉をみんな喰ってすっかり坊主にしてしまったに。」  二人が、牛をつないだ椿の木を見ると、それは自転車をもった地主がいったとおりでありました。若い椿の、柔らかい葉はすっかりむしりとられて、みすぼらしい杖のようなものが立っていただけでした。  利助さんは、とんだことになったと思って、顔をまっかにし

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底本:「少年少女日本文学館第十五巻 ごんぎつね・夕鶴」講談社
入力:田浦亜矢子 校正:もりみつじゅんじ
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/card638.html)