三国志 五丈原の巻
作者:吉川英治 約5時間で読めます
中原を指して
一
蜀の大軍は、沔陽(陝西省・沔県、漢中の西)まで進んで出た。ここまで来た時、 「魏は関西の精兵を以て、長安(陝西省・西安)に布陣し、大本営をそこにおいた」 という情報が的確になった。 いわゆる天下の嶮、蜀の桟道をこえて、ここまで出てくるだけでも、軍馬は一応疲れる。孔明は、沔陽に着くと、 「ここには、亡き馬超の墳がある。いまわが蜀軍の北伐に遭うて、地下白骨の自己を嘆じ、なつかしくも思っているだろう。祭を営んでやるがよい」 と、馬岱を祭主に命じ、あわせてその期間に、兵馬を休ませていた。 一日、魏延が説いた。 「丞相。それがしに、五千騎おかし下さい。こんなことをしている間に、長安を潰滅してみせます」 「策に依ってはだが……?」 「ここと長安の間は、長駆すれば十日で達する距離です。もしお許しあれば、秦嶺を越え、子午谷を渡り、虚を衝いて、敵を混乱に陥れ、彼の糧食を焼き払いましょう。――丞相は斜谷から進まれ、咸陽へ伸びて出られたら、魏の夏侯楙などは、一鼓して破り得るものと信じますが」 「いかんなあ」 孔明は取り上げない。雑談のように軽く聞き流して、 「もし敵に智のある者がいれば、兵をまわして、山際の切所を断つにきまっている。そのときご辺の五千の兵は、一人も生きては帰れないだろう」 「でも、本道を進めば、魏の大軍に対して、どれほど多くの損害を出すか知れますまい」 孔明はうなずいた。その通りであると肯定しているものの如くである。そして彼は彼の考えどおり軍を進ませた。隴右の大路へ出でて正攻法を取ったものである。 これは、魏の予想に反した。孔明はよく智略を用いるという先入観から、さだめし奇道を取ってくるだろうと信じて、ほかの間道へも兵力を分け、大いに備えていたところが、意外にも蜀軍は堂々と直進して来た。 「まず、西羗の兵に、一当て当てさせてみよう」 夏侯楙は、韓徳を呼んだ。これはこんど魏軍が長安を本営としてから、西涼の羗兵八万騎をひきいて、なにか一手勲せんと、参加した外郭軍の大将だった。 「鳳鳴山まで出で、蜀の先鋒を防げ。この一戦は、魏蜀の第一会戦だから、以後の士気にもかかわるぞ。充分、功名を立てるがいい」 夏侯楙に励まされて韓徳は勇んで立った。 彼に四人の子がある。韓瑛、韓瑤、韓瓊、韓琪、みな弓馬に達し、力衆に超えていた。 「八万の強兵、四人
底本:「三国志(八)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)