Nine 第八話
作者:コウケンド 約9分で読めます
ライプツィヒの街は、冬の色をまだ手放していなかった。 石畳は曇天の光を吸い、路地に溜まった水たまりが鈍い銀を映している。一方で、印刷所や製本所の並ぶ通りを抜けると、風の中に紙とインクの匂いが混じり、胸の奥が少し温まった。 駅馬車を降りたリヒャルトに、叔父のアドルフが手を振った。リヒャルト15歳の冬だった。 「おやおや、見慣れた顔じゃないか」 リヒャルトの肩を軽く叩くと、にやりと笑った。 「ライプツィヒはいいぞ。知識が溢れる街だ。ただな、知識は重すぎると、背負うのが大変だ。だがうまく使えば、お前を遠くまで歩かせてくれる」 その声は柔らかく、どこか旅人のような響きがあった。 リヒャルトは言葉を返さず、只、頷いた。背後の本屋の窓に並ぶ背表紙が、和音のように整って見えた。 二人はいくつかの古本屋をあてもなく回った。古びた革の匂い、黄ばんだ紙、指先にざらつく感触。アドルフは時おり足を止め、一冊を手に取っては、静かに棚へ戻した。リヒャルトも見よう見まねに本を手にとっては、棚に戻し、その所作は十五の少年とは思えぬほど自然に溶け込んでいった。 ほどなくして、ワーグナー一家はライプツィヒへと移り住んだ。それからというもの、リヒャルトは水を得た魚のように、読書を積み重ねた。 * 特に通い詰めたのは、同級生クララの父、ヴィークが営む貸本屋だ。木の床は長年の足で磨かれ、窓際のアイビーは曇り空の下でも鮮やかな緑を見せている。奥には古時計があり、静かに時を刻んでいた。 「おう、ワーグナーくん。今日も来たか」 「ここにいると、時間を忘れます」 「忘れすぎても困るな。でも本を好きでいてくれるのは嬉しいよ。ははっ、まあ貸本屋としてはね。あとは“借りたら返す、書き込みはしない”それだけは守るんだぞ」 ヴィークの決まり文句だった 「はい!」 答えながら、リヒャルトはもう背表紙をなぞっていた。 奥から娘のクララが皿を抱えて現れた。 「焼いてきたの。お父さんが食べないと残るから」 差し出されたクッキーはまだ温かい。 「ありがとう」 リヒャルトは素直に受け取った。そしてクララは何かを言いかけたが、すぐに奥へと戻っていった。 本を読んでいると、隣室からピアノの音が響いてきた。ヴィークは貸本業の他にも近隣の子ども達に音楽を教えており、その日は隣町から通う青年にレッスンをつけていた。柔らかで