Nine 第三話

作者:コウケンド 約4分で読めます

Nine 第三話を縦書きで読む(Textfall)

雲が低く垂れ込めていた。東へと向かう馬車の窓から見える空は、どこまでも灰色で、遠くの森も沈んで見えた。空気は重たく、鉛を含んだようにのしかかってくる。ロザーリエは黙って、手の中の荷包みを見つめていた。  ワーグナー一家は、慣れ親しんだライプツィヒを離れ、ドレスデンへと向かっていた。母ヨハンナの顔には、決意のようなものが浮かんでいた。馬車が止まり、一家は降りた。ドレスデンの旧市街の外れ、石畳が斜めに傾く坂の中腹。静かな住宅街の一角。家々の窓にはレースのカーテンが垂れていた。 「……ありがとう、みんな」 ヨハンナが静かに口を開いた。 「ここまで来てくれて。急なことで、戸惑ったわよね。でもね、今日のこの決断は、あなたたちのこれからのためなの」 空気が濡れ、風が少し冷たかった。 「さあ、顔を上げて。みんなに会わせたい人がいるの。これから、一緒に暮らしていく人よ」 言葉は柔らかかったが、少しばかりの緊張も感じられた。その瞬間、ロザーリエが一歩、前に出た。 「ママ……」 彼女は曇りなき眼で母を見つめた。 「私は、ママのことも、兄妹たちのことも大好き。でも…正直なところ、まだ心の整理がついてないの」 落ち着いた声色とは裏腹に、かすかな心の震えがあった。兄妹たちは黙ったままだった。赤子のリヒャルトも、じっと母と姉を交互に見つめていた。ヨハンナはしばらくの沈黙の後、やや硬い声で言った。 「……そうね。ロザーリエの気持ちは、よくわかるわ。私も、カールとの思い出を忘れたわけじゃない。忘れられる訳もない。でも、私は母親なの。あなたたちを守るためには、変わらなきゃいけない」 ロザーリエの瞳に光が宿った。 「たった一人で、大変な時代を支えてくれたのに。……ママは、もうそれを信じられないの?」 ヨハンナの目が見開く。 「信じてるわ。でも……」 言いかけたとき、ふいに腰に吊った革の紐が解け、小さな鞘がコトリと足元に落ちた。細身の小剣だった。ヨハンナはそれを拾い上げ、握ったまま立ち上がった。剣を抜き、白い息の中で構えた。 「私は、ナポレオンに刃を向けられた。そして、逃げ場もなかった」 月光のように冷たい刃が、ロザーリエの右頬すれすれに突き出された。 「暗い路地で、私は死を覚悟したの。でも、私は生きた。あなたたちのもとに帰るために、生き延びたのよ!」 声が震え、刃先も揺れた。ロザーリエは一歩も動かず

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